再録:偽書大道寺

 

 

 

 明朝、日の出とともに私は、いにしえの王が眠る彼の地へと発つ。

新しい世界を作り出す「力」を手に入れ、長年の悲願を叶える為に……

 

 

 

だからこそ、今、私はここに記す。

興奮で目が冴え心臓が高鳴り眠れない、長いこの静かな夜が明けるまで。

 

私が、この世界に存在していなかった頃の、今日までの短き記録を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偽書 大道寺

 

 

古くから続く家には大抵なにかしらの逸話が残っているように、大道寺家の発祥にまつわる話は諸説あるが、はたして正史とはなんなのだろうか。

そもそもこの国には今尚真偽の分からない言い伝えや伝承の類が多く、名だたる聡明な学者達が何十年とかけてそれらを解読し膨大な情報を集め遡り出した結論が、神の創り出したもの、なのだ。命すら人間の手で生み出せるようなこの、科学の時代に。

先祖代々口伝で語り継がれてきた大道寺一族にまつわる数多の昔話も、当然ながらどれもこれも非科学的で信憑性に欠けているのだから、史実と断言できそうなものなど凡そ見当もつかないのは当然だろう。

だが、全ての物語は共通の前提条件から始まっている。それは遥か昔、人知を超える力を持つ、いにしえの王が存在したということ。そして、王の眷族とされる、かつては大神と字を当てていたのだろう、一匹の狼によって一族の歴史は端を発したということだった。

そんな与太話を聞かされて育っただろう先代達が本心から自らのルーツにまつわる伝説を信じていたのか否かまでは知る由もないが、狼は一族にとって身近な存在とされ続け、今に至る。

私は、そんな古くから続く、頭文字と狼をモチーフにした標章を持つ大道寺財閥の嫡男として生まれた、筈だった。

 

 

 

 

 

私が生まれたのは今から二十余年前。

待ちに待った初子、それも跡継ぎとなり得る男児なのだから、親族の期待と喜びの大きさたるや想像に容易いだろう。私を身籠った母は、まるで繊細な硝子の彫刻のように丁重に扱われ、日に日に質量を増す祝福と賞賛に満ちた暖かな眼差しのなかでつつがなく十月十日を過ごしたらしい。

しかし、そんな彼女の幸福な日々は私の誕生によって一転した。

透き通るような白い肌。まだやわらかな、月光のような銀色の髪の中に走る、額を分かつ一筋の金。そして、淡くきらめくアメジストのような紫の瞳。

艶やかな黒髪と黒曜の瞳を持つ両親の腕に抱かれると対比でひときわ人目を引く、この嬰児の噂は、嫡男誕生の知らせと共にあっという間に広がった。

社会性を得ることで生存可能性を高めて進化してきた人類にとって、異端への嫌悪は本能的なものなのだろうか。今なお血筋や格式に重きを置く一族は得てして保守的になりがちだ。大道寺家も例外ではなく、変化を怖れる者たちは、祝福という建前で上塗りしたところで到底隠せないほどの色濃い好奇と嫌悪の色を浮かべ母親のもとへ訪れる。そして、まだ己のことなど何も知らぬ赤子に対して、柵の向こうに繋がれた珍獣を見るような眼差しを向けながら、先を憂い、時には凡そ事実無根の心ない中傷や、非化学的な揶揄の言葉をまだ若き母へ向けるのだ。信じられないことに、口々に彼女を罵倒する人々の中には当代、つまり彼女の夫であり、赤子の父にあたる男の姿もあった。

祝福と寵愛の中にいた彼女は、哀れにもこの手のひら返しに耐えられるほどのしたたかさを持ち得ていない。心身ともに疲弊するなかで美しい黒髪は見る間に色が失われてゆき、それすらも嘲笑の対象にされる日々のなかで、母は徐々に壊れ、気付いた時には手遅れだった。

 

これらの経緯は後に部屋から見つけ出した母の日記の記述に基づくものであるからして、あくまでも彼女の主観で書かれた文章からの推測に過ぎないのだが、幼少期に他者から向けられた悪意や、育てられた環境の記憶と照らし合わせてみてもほぼ事実と相違ないのだろう。

ただ、母親という存在が消えた後、まだ乳飲み子だった私がどのように育てられたのかに関しては、聞く当てもなければ、知る由もない。きっと、その環境に今の私を私たらしめている、根本の思考パターンや性格形成のヒントがあるのだろうが、客観的な観点からしても、はたして望ましい生育環境ではなかったことだけは確かだ。

しかし、もし私が、望まれ期待されていた一千万分の九百九十九万九千九百九十九の存在であったなら、と考えた場合、私はこの神の悪戯に感謝せざるを得ない。そしてそれは、遺伝子を解読することで容易く導き出されるであろう揺るぎない事実をも受け入れず、一切の思考を停止し引き起こされた情動のままに同じ血が流れるものを異端と断罪した、虫けらにも劣る愚かな同族たちにも、だ。彼らのおかげで、私は、偶然とは必然であり、自らこそが、かつての狼となりえる唯一無二の存在であることに気付けたのだから。

 

 

物心ついた頃の幼い私はまだ、自らが黒髪の持ち主であると信じ込んでいた。今となっては、そんな時期もあったか、というほどに短い期間ではあるが。

大道寺家の長男としては望まれない姿で生まれてしまった私の処遇に困った父が、世間体を守る為に選択した方法はその場しのぎの隠蔽に他ならない愚かなものだった。人目を引く髪は黒く染められ、弱い視力を補う為ではなく瞳を隠すために分厚いレンズの眼鏡を着用させられただけでなく、生まれつき身体が丈夫でない私は、言葉も満足に話せないうちから療養という名目で本宅からは遠く離れた僻地の別荘に事実上軟禁され、数人の使用人と共に暮らすことを余儀なくされていた。

本来ならば外の世界に興味を持つ頃だろう。しかし、幼い私は家の敷地はおろか、部屋から出ることすら殆ど許されず、本宅に足を運び実父と顔を合わせることは年に数回あるかないか。そんな浮世離れした生活の中で会話を交わす相手なんて使用人と、住み込みの家庭教師、あとは幼児期特有のイマジナリーフレンドくらいのものだったが、父にとっては幸か不幸か、私は自らの置かれた状況を理解するまでにそう年数がかからず、従順で扱いやすい子供を演じるのがとても巧かった。

大人たちの目には、狭い檻に閉じ込められ必死に尻尾を振る哀れな仔犬のようにでも見えていたのではないか。きっと意味も分からないだろうと高を括り、見下したような目で嘲り笑う、その言葉や態度がそっくりそのまま私にとっての、他者、というものに対する認識に成り代わった。

 

それからの十年間を私はこの狭い世界の中で、決められた通りに過ごした。同じ時間に目覚め、同じ時間に食事をとり、同じ時間に眠りに着く日々。同年代の少年達からしてみたら、私の置かれた環境は不幸にも思えるかもしれない。しかし、余計なことには一切時間を割かずに済み、時には同情と憐れみを誘うことで望めば与えられるこの環境は、知的好奇心を満たし研鑽を積むという面では誰よりも十分に恵まれていただろう。私は自由に与えられた時間をすべて向学に費やした。全ては、幼き日に刻まれた復讐心と、承認欲求に依るものに他ならない。なんと健気なものだろうか。

 

そんな日々を繰り返し少年の身体が青年のものへと変わる頃、突然私の生活は一変した。きっかけは独学で研究し、組んだ人工知能のプログラム、通称メルシー。かつて幼き自らの脳が生み出した友人を、自らの手でもう一度作り出してみようと思い立ってから数か月後、この世に再び誕生した彼の存在は、素人目にしても驚異的なものだったのだろう。見かねた使用人が公にしたことによって、うら若き研究者として望まれざる脚光を浴びた私は一躍大道寺家の跡継ぎとして、期待の座に返り咲いた。

すると、それまでの態度が嘘のように父は私を、自慢の息子だ、などとのたまうようになり、それまで必死に存在を隠していたというのに喜々として薄暗い社交の場に連れまわしては、出会う人出会う人へと私の研究が特集を飾る科学雑誌を片手に紹介して回った。その噂を聞いた者たちは私を次期当主として丁重に扱うと、媚びを売り、かつては低俗な生き物のように侮辱されていた私を、神童だともてはやす。その姿はまさに、服従の姿勢をとる狼のようで、笑いすら込み上げるほど滑稽であり、心地よい満足感に満ち溢れ、最高の気分だった。漸く、長い復讐は終わったのだと実感した。

 

やがて私は才能を見込まれ、アメリカでも最大のエネルギー開発企業からインターンとして働いてみないか、と声をかけられた。願ってもない誘いである、勿論二つ返事で了承すると、すぐにアメリカへと飛んだ。

到着早々出迎えてくれた社員に案内されるまま足を踏み入れた、私が滞在する予定の街は、その全てが企業の私有施設でできており、一つの会社としての規模と影響力の大きさに驚かざるを得なかった。それだけでなく、そこで出会う人々は、賢く向上心に満ち溢れており、年齢の差や人種で判断することなく相手の功績に敬意を払い、レベルの高い議論を交わせる環境が整えられていたため、それまで狭い世界しか知らずに育ってきた私は大変刺激的な生活を過ごすことが出来た。

 

そんな短くも濃密な日々のなかで、私はある男と運命的な出会いを果たす。

彼との出会いが無ければ、今日の私は存在していないだろう。私の中にある自己万能感を裏付ける存在証明と、願望を現実にする為の道標、そして、この居場所を用意してくれたのは、彼に他ならないのだから。

 

 

その知らせが入ったのは、インターンを終えた私が、帰国に向けて少ない荷物をまとめている最中だった。

『大道寺財閥の代替わり、当代が一人息子にその座を譲り引退』

視界に飛び込んできた見出しの文字に一瞬目を疑った。私はここにいる、そんな話は聞いていない。慌てて紙面に目を凝らすとそこには、後妻の子だろうか、私とよく似た顔立ちの私とは別の青年が、私の名前と経歴を騙りモノクロ写真の中で微笑んでいた。

 

突然、私は名前を失った。一度は取り返した帰る場所も奪われ、将来の居場所も、存在すらも見知らぬ者に取って代わられた。悪い夢を見ているのではないかと思ったが、それにしてもたちが悪い。

そう、私はまた、騙されたのだ。はたして私が留守にしたこの数カ月の間に父の心中でどのような葛藤が起こったのかは知り及ぶところではないが、自らの血を引いていながらも外見、能力、思想、全てにおいて根本から異なる存在である私に対する、本能的な畏怖が、この選択をさせたのではないだろうか。そうに違いない。

しかし、神は常に私の味方をする。

愚かな父は知る由もないだろう。どうあれ世界はいずれ訪れる滅びの日まで、決して予定調和の定めからは逃れられない。

 

狼が捕食対象になり得ない存在を攻撃することは稀である。しかし、相手から攻撃を仕掛けてきたのなら話は別だ。ハデスインク創始者であるジグラット氏の全面的な協力という強大な後ろ盾もあり、無知で無能な人間を頂点に置いた烏合の衆を潰して全てを奪うにはさほど時間もかからなかった。その後の一族の末路は知らないが、地を這う虫に興味がないように、一度堕ちたものに関与するほどの興味はない。

私を魅了するものがあるとしたら、地よりも尊く海よりも深い闇を生み出す、崇高な暗黒の力に他ならないだろう。全てを失い、奪われた私が、手に入れたいと望むものは全ての消滅と回帰である。

 

なぜなら、私こそが、地を揺らすものであり、災いをもたらす白狼なのだから。

 

 

その後、ハデスインクの日本拠点を任されるにあたり、自由な裁量権を与えられ帰国した私は、せめてもの餞と感謝を込めて、大道寺の名と共にダークヴォルフを継ぎ、慣れ親しんだ標章の一部を用いて私の生家である本宅跡地に会社を創設した。

 

それこそが、暗黒星雲であり、斯くして今に至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

《以上のデータをハデスインクのコンピューターネットワークに同期いたします》

「ええ、お願いします。メルシー」

Merci beaucoup! かしこまりました御主人様、今すぐに》

モニターの青い光だけが周囲を照らす、薄暗く静かな室内に、二人の男の声が響く。しかし、そこに男は一人しかいない。もう一人の声はどうやら、この部屋の機器に接続されたスピーカーから聞こえているようだ。

《しかし……宜しいのですか?》

「嘘も方便、という言葉があります。全てを白日の下に晒すことが必ずしも正しいとは限りませんからねぇ。ただ、利用できるものは利用するだけです」

 

くつくつと人ごとのように笑う男の視線は真っ直ぐにモニターへと向けられ、冷たい色の光を映している。暫しの間を置いた後、彼は語りかけるように口を開いた。

 

 

 

この高いビルの頂上に立って、眼前に広がる深い闇を掴もうと  両手を伸ばす私の姿は、さぞ滑稽だろう

 

 

 

 

 

 

 

 

2015.11.15 GO!ベイブレーダーズ 発行

 

すごく好き勝手な過去捏造ですみません、こうだったらいいなーと思う半面

これはちがうなーという思いも強く、大道寺過去ifは何通り考えても楽しいので

大道寺の過去はずっと謎に包まれていてほしいです