三〇〇年鬼ごっこ
プロローグ
男は何故、この地を訪れたのだろうか。
辺りを見回したところで人影はおろか生き物の姿すら無い。砂埃のはるか遠くには、切立った山々が霞んで見えるだけで、かつて人間が住んでいたような形跡は見つからなかった。風の音ばかりが響く、荒れ果てたこの地は、まるで世界の終わりのようだ、とでも形容すべきか。
そうしてぐるりと遠くを見渡した後、男がふと足元に目を落とすと、草一本生えていない地面のなかに一輪、逞しく自らの存在を主張するように瑞々しく咲いている花の姿があることに気付く。
彼は今まで野に咲く花にも、贈られる花束にも一度として関心を向けたことは無かったが、黄味がかった砂に花弁の紫があまりにも鮮やかに映えていたからか、単なる気まぐれか、引き寄せられるような動作で、服が汚れることも厭わず大地に腰を下ろした。
「これは……」
驚いた、とでも言いたげに大きな目を更に大きく見開くと、男は突然、花の周囲に厚く積った砂を、力任せに武骨な手で払いのけだした。
彼が驚いたのは、花弁の美しさに対してではない、ましてや葉の鮮やかさでも茎のしなやかさでもない。その下の砂と灰に埋もれた部分、花の宿主となりながら、規則的に微かな寝息を立てている、錆び付き打ち捨てられた無残なスクラップの姿に、今となっては遥か昔の記憶に刻み込まれた、しかし残念なことに忘れることもできない確かな見覚えがあったのだ。
「……久しぶりだな、大道寺」
一年目
その日、大道寺さまは今までに見たことがないくらいにものすごく怒っていた。普段から乗り慣れているはずのヘリが立てるプロペラ音や、強風が吹く度に起こる揺れにすら苛立ちを覚えて、操縦士(俺!)を不条理に叱責し当たり散らすほどには怒っていた。普段はコントロールできていたはずの義肢の力加減を誤り、飲みかけのオレンジジュースのグラスを砕いてしまうほどには怒っていた。帰還後掃除する俺の身にもなってくれよ、と思ったが、あの腕につけられた用途不明なキャノン砲の使い道を知ることになるのは恐いので黙っておいた。
「……いったい、何度、私の邪魔をすれば、気が済むというのですか」
ギリリ、と奥歯を噛みしめる音がここまで聞こえてくる。怒りの原因は勿論、あの『憎き鋼銀河』だ。
破山キラとかいう、なよなよしたキモいガキを大道寺さまがどこからか拾ってきたのは、俺がこの上司の下で働きだす前だった。そいつを兵器として育て上げるために、この組織が、大道寺さまが費やしてきた年単位の時間を考えたら、その怒りももっともだろう。傷ついた子供達のやわらかい部分に取り入って、自分の言うことが絶対であるかのように刷り込み育て上げる。この組織がやってきたことは、つまりそういうことだ。
『この世界を手に入れる――』だなんて現実離れ極まりない抽象的な夢にそこまでの計画を立て、貧弱なガキが力の使い方を覚え、世界にとっての脅威になり得る存在に変わるほどの時間を費やすなんて、異常なまでの偏執狂か、よほどの変態だ。俺には理解ができない。理解はできないが、憎しみは分かる。給料減るよな、きっと。
「大道寺さま、あと三分二十秒で目的地に到着予定です」
「そうですか、ご苦労。ああ、後でこの手紙をポストに投函しておいてください」
「わかりまし……え?」
手渡された封筒には大きく「鋼銀河様」と書かれていた。トチ狂ったかと思って雇い主の顔を二度見する。
「不幸の手紙です」
この組織で働いていていいのだろうか、俺。
三年目
やってしまった。
私の立ち上げた新生ダークネビュラは今、過去最大の危機に見舞われている。そのせいで折角大量に求人広告を出して雇ったスタッフ達も日ごとに逃げ出す始末だ。
え? どんな危機か、ですって?
「大道寺さま、どうしましょう、大赤字です」
「困りましたね」
原因は分かっている。
ここ数年というもの、私は新たに立ち上げた計画を少しでも早く実行に移そうと集中しすぎたあまり、ダークネビュラの隠れ蓑として機能させていた関連企業の経営を部下に任せ蔑ろにしてしまったのだ。なかでも、資金供給面での一番太いラインとなっていたスポーツメーカーの業績悪化によるダメージが大きい。
経営を任せていた部下が思った以上に無能だったことも一因だが、それ以上にT・C……タテガミコーポレーションの業務拡大が痛かった。社長が代替わりするとともにめきめきと業績や規模を大きくしていったあの緑のライオン印に、我がDAIDO-Gブランドは食い潰されてしまったのだ。
鋼銀河も憎ければその友人も憎い。私から何もかもを奪っていくというのなら、いつか絶対に潰してやる、と心に決めた。
そのためにはこの際、方法なんて選んではいられない。何をするにも、金が必要になる。少しでも早く経営を立て直し、安定させ、計画を実行に移すための確固たる基盤を築かなくては。
「緊急招集!貴方達に仕事を命じます」
館内放送で無能な部下達を集める。
今のダークネビュラにいるのは精鋭ブレーダーどころか、どこかで道を踏み外し行くあてもなく彷徨っていた虫けらのような存在ばかりだが、どんなに個々が使えないクソ虫のような人間でも、使う側が有能である限り、優秀な手駒になり得るのだ。人間の教育には自信がある。
「今からイカの美味しい焼き方の研修を始めます。きちんと覚えて、来月からの夏祭りでしっかり稼いでくるように」
「はい!大道寺さま!」
五年目
大道寺のアジトを見つけてしまった。
探そうと思って探していたわけじゃない、ここ数年のなかでも何度か不穏な動きはあったが、もしもの時は俺と銀河でなんとかすればいいと思っていた。
それなのに何故、単身こんな所に来てしまったかというと、話は昨日の夕方に遡る。
正直、父から継いだこの社長業には心底飽き飽きしていた。全て投げ出したいと思うほど、不思議なことに何もかもが上手くいってしまい、更に社長の椅子に縛り付けられる始末。竜巻の中で過ごしてきた俺にとって、エアコンが効いて快適なこの部屋は居心地が悪かった。
だから抜け出した、数時間で帰るつもりで街に出るとちょうどその日はお祭りだったらしい。屋台が立ち並び、楽しそうな子供達の声が聞こえる。
アメリカ育ちで縁日を知らない正宗に祭りの楽しみ方を教えてやるんだ!と燃えていた銀河やベンケイ達に散々連れまわされたのはもう十年近く昔になるのか。とガラにもなくしんみりしながら、ちょうど目の前にあった屋台でイカ焼きを買おうと思ったら、いた。イカを焼くガタイのいい、見覚えのある前髪(?)のサイボーグが。
「おま、だい……っ」
思わず叫びそうになる口を押さえて、顔を伏せてイカ焼きを受け取る。よかった、気付かれていないようだ。
普通に美味いイカ焼きを頬張りつつ、出会ってしまったからにはと発信器を屋台に取り付けるまでが昨日の話。
そして今、発信器を頼りにバイクを走らせ、アジトに忍び込んで、気付かれないように探っているところだ。
なにか悪事の尻尾を掴んでやろうと息巻いていたが、思いのほか、いや、思った以上に何も残されていなかった。勘付かれたか?と思ったがすぐに理由は分かった。
どうやら借金がかさんで何もかも売り払ってしまったらしい、それもどうやら俺の会社が市場を独占してしまったせいで。その結果があの姿――イカ焼きサイボーグだと思うと若干良心が痛むような気がする。
大道寺はどうしようもない奴だが、DAIDO-Gブランドのウェアは悪くない、正宗も愛用していたはずだ。
俺は何も見なかったことにしてその場を後にした。
十年目
ふと目にしたニュースで知ったが、あの鋼銀河が今度WBBAの本部長に就任するらしい。
「ふん、偉くなったものですねえ」
そんなことはどうでもいい、しかしこれはチャンスだ。就任式典にはきっと私を今まで苦しめてきた奴らがたくさん参加することだろう。それならば――
「皆さん、今日は……」
青いスーツに白いマフラーを巻いた、背の高い赤髪の男がマイクを手に取りやや緊張した面持ちで話し始める。その姿を望遠レンズ越しに確認し、私はこの日のために開発した搭乗型巨大ロボットごと上空から急降下、会場の広場中央に華麗な着地を決めた。
「いやあ、本部長就任おめでとうございます、鋼銀河!」
一瞬で張り詰める周囲の空気が心地よい。
「……大道寺、おまえ、わざわざ祝いに来てくれたのか!」
「そんなわけないでしょう!」
どうして、こう、この男はそうなんだ。怒りで思わず唇が震えるが、まあいい。この新型機で全て台無しにしてやろう。
「えっ……」
一瞬鋼銀河の表情が険しいものになったところまでは視認できていた。次の瞬間には目にも止まらない速度でシュートされていたらしい彼の愛機が私の新型機をバラバラに分解していた。
「まったく、危ないだろ?そんなデカいのいきなり振り回したら。それにしてもおまえ、変わんねーなぁ。初めて会った時は、なんだよこのオッサンって思ったけど、今じゃおれのほうが年上に見えるな」
いったいどうなってんだ、その体。いいなあ、なんて言いながら余裕の笑みを浮かべる宿敵の顔は、確かに歳相応の大人の男に変わっていて、不意に初めて出会った時の頬に丸みを帯びた幼い彼の姿や、それを必死に守ろうとしたあの日の精悍な父親の面影を思い出させる。背筋に突然、ひやりと冷たいものを感じた。
「ふ、ははは! 今日はお祝いに来ただけですからねっ」
「あ、おい。待てって!それなら料理くらい食べ……」
情けないが撤退だ。時間はまだある、私は不滅だ。
二十年目
本当に懲りないやつだなあ、と思う。
気付けば大道寺と出会ってから、早いもので三十年の時が過ぎた。認めたくないが父さんや北斗達の次に長い付き合いだ。あの日の父さんは今のおれより若かった。
誰よりも憎んだ時もある、何度も殺されかけてきたし、大切なものを何度も傷つけられてきた。が、おれは知っている。破壊神ネメシスとの戦いの時、アイツが力を貸してくれたこと。だから嫌いになりきれないんだよな。
「でもなあ、流石にこれは卑怯すぎるだろ大道寺ぃぃ」
ある日届いた招待券には、『WBBA本部長就任十周年記念豪華客船貸切世界一周旅行にご招待! ご家族ご友人お誘いあわせの上ご参加ください』と書かれていた。
久々にみんなで集まれる良い機会だと喜び、手当たり次第に誘って、やれ変わっただの変わらないだの笑いながら楽しい世界一周旅行に出発したのが三か月前。
帰ってきたら、もう一人のおれがWBBAの本部長としてバリバリ仕事をこなしていた。
「だ、誰だおまえ!」
「クク……そんなの、決まっているでしょう。世界一周旅行は楽しかったですか? 元・本部長さん」
いくら会う度に姿が変わるとはいえ、まさか、外見までそっくりに改造してくる日が来るとは思わなかった。
そして、まさか周囲の誰もがこの入れ替わりに気付かないとは思わなかった。それだけじゃない。
「誰か! おれの偽物が現れたんだ、捕まえてくれ!」
「なっ……おれが本物の鋼銀河だ!」
まさか誰も信じてくれないとは思わなかった。
ちくしょう、大道寺め。少しでも信じたおれがバカだった。絶対許さないからな大道寺。でも世界一周旅行はメシも美味いし部屋は豪華だし最高だった。だからといって絶対許さないからな、大道寺!
おれと同じ顔で不敵に笑う大道寺を睨みつけながら、おれは悲しいかな数か月前まで一緒に働いていたWBBAの職員たちに連行されていった。
「そんなにおれの顔が気に入ったのかよ!似合わねえよ」
二十一年目
十年越しの計画は成功したかに思えた。
これで内部からWBBAを意のままに操れる、WBBAの職員たちは今のところ私が本物の鋼銀河だと信じ込んでいるようだし、厄介な来客達に関しては、
「悪い、ちょっと今本部長の仕事が忙しいんだ」
とでも言って撥ね付けておけばいい。
喜びに打ち震え思わず高笑いをしたのもつかの間。
「よお、銀河! 父さんとラーメン食べに行かないか?」
そうだった、憎き鋼流星。本部長の席を息子に譲ってからも事あるごとにWBBAに入り浸っている、厄介な存在。まさかアポもなしにやってくるとは思わなかった。
もう相当の歳だというのに元気なものだ。流石はフェニックスとでも言ったところか。
だが、ここでバレるわけにはいかない。やっと、やっとのことで上手くいったのだから、大・大・大嫌いな相手の顔に顔面パーツを造り変え、大枚をはたいて豪華客船世界一周旅行のチケットを手配した。イカを何万本焼いたかもう覚えていないし、何万本のオレンジジュースを出荷したのかも覚えていない。とにかく、バレるわけにはいかないのだ。
「おう、もちろんだぜ、父さん!」
「おい銀河、おまえがそんなに小食なわけがないだろう。さては、おまえ……偽物だな?」
あえなく敗退。
「ばれてしまっては仕方ないですね! そうです、私は」
「いや、大道寺だろ、いくらジジイになったからって親が息子を見間違えると思うのか?」
相変わらず馬鹿だな、とげらげら笑われ途端に顔が熱くなる。本当にこの男には腹が立つ。昔からずっとそうだ、私のことを馬鹿にし続けてきた。だが、今なら倒せる。こちらは機械の体、あちらは年老いた身だ。ここで始末してしまえば誰も私の正体には気付かない。
しかし、私はその場からの撤退を選んだ。老いた旧友の姿がそうさせたのか、それしかできなかった。
「フン……せいぜい残りの人生を楽しむことです」
三十年目
気付けばだいぶ歳をとった。かつて愛した人に、炎のようで綺麗、と言われた赤い髪も今や白く変わってしまったし、熊と相撲を取る体力は流石に残ってはいない。
久々に訪れた古馬村の、静かで温かい日差しの下に寝転んで人生を振り返る。思えばあっという間で、刺激に満ちた人生だった。たくさんの冒険をして、たくさんの恋をして、素敵な人に出会って、そうして生まれた、命よりも大切なかけがえのない息子と共に、世界の危機に立ち向かうことになるなんて、十代の頃の俺に言ってもきっとすぐには信じてくれないだろう。
俺はけして、良い父親ではなかった。幼い頃の銀河にはきっと寂しく辛い思いばかりさせただろう。それなのに、あんなに泣き虫だった銀河はいつの間にか誰よりも強く優しい心を持った立派な男になってくれた。
何度絶望的な状況に陥っても、銀河は諦めずに向き合い続け、泣き言一つ言わずに戦ってきた。今、俺たちが平和に過ごせているのは、全てそのおかげだ。
「本当に、自慢の息子だな。ったく誰に似たんだか」
心からそう思う。
良い人生だった、と振り返る一方、今も悔やみ続けていることもある。
幾度となく阻止してきた悪の陰謀、その背後にはいつも、よく見知った彼の姿があった。
大道寺、俺の旧友。かつて共に夢を語りあった相棒。
何故、あの馬鹿は道を違えてしまったのか、何故俺には止められなかったのか。若き自分の非力を呪うとともに、今なお満たされず、遂には人間の体のままでいることすら許さないほど膨れ上がってしまった彼の復讐心を哀れに思う。きっと彼の心はあの姿のままで止まってしまったのだ。
「もう五十年前になるのか。一緒に謎を追い求めて、一緒にボロボロになるまで彷徨って。賢いおまえと、タフな俺。最高のコンビだと思ってたんだが、どこで間違っちまったんだろうな。スマン、大道寺」
若い頃から喧嘩っ早くて性格も真逆な俺たちは、事あるごとに喧嘩してはすぐに仲直りを繰り返していた。それがあいつと俺の形で、ずっと上手くいくはずだった。
「そのうちまた元通りになるだろ、なんて言ってる間にこんな歳になっちまったぞ。馬鹿野郎」
四十年目
人間の肉体には細胞分裂の限界がある。
染色体の末端構造、私のテロメアの長さはおそらく残り僅かだろう。気付けば、私と同じ世代の人間はもうこの世にそこまで多くない。
憎き旧友も、だいぶ前にこの世を去った。その息子もいつの間にか還暦を迎えて一線から引いたらしい。
いつまでも若々しい姿でいられるのは、全身を機械化し続けることで不老を手にしたこの私と、あとは、
「竜牙は、いったいどこで何をしているんでしょうね」
竜牙。竜の一族の兄。若かりし私が、必死になってこの手に掴もうとした強大な力。
今でも鮮明に思い起こせる、はじめて見た圧倒的な力に魅了され、全てを手に入れたいと恋焦がれた、焼け付くようなあの日々を。私は調べ上げた、そのルーツも何もかも。彼の正体は人間ではない、竜なのだ。きっと今もこの世界の何処かを彷徨っているのだろう。
とは言え、今の私にはもう関係がない話だ。竜牙、ダミアン、ネメシス、キラ、それだけじゃない……幾度も幾度も繰り返してきた、私の野望。しかし、手中に収めようとした力達はかくして私を裏切り、牙をむいてきた。
だが、今の私はもう無力な人間などではない。
ヒトは、個々の生存確率を上げるために進化の過程で社会性を獲得した。それは個体に力が無かったからだ。絆、繋がり、心、そんなものは慰めに過ぎないでしょう?
唯一無二の存在にただ憧れるだけの日々はとうに終わった。もう、不確かな存在に媚び入って縋りつく必要はないのだ。
私は、自分の力だけで、次こそ世界を手に入れる。
「メルシー、次回メンテナンス時に改造を施したい。今転送したデータ通りに準備を」
「Oui. ご主人さま。仕様書をもとに交換用パーツの製造及び人工皮膚の培養を開始いたします」
科学力と膨大な時間をかけてつくり上げた人工知能メルシー。今の私にとって唯一の、しかし誰よりも優秀な部下だ。『彼』さえいればもう誰も必要ない。
見ていなさい、私を邪魔してきたすべての者たち。
今度こそ、今度こそ……
五十年目
Data 3982 Merci.
現状、主の肉体構成物質における生体器官の割合、約三%(内訳:脳千六百五グラム 心臓三百十八グラム) 心臓の連続稼働年数に不安あり。前々より開発を進めていた代替機関への移行準備に移る。
Data 3985 Merci.
移行成功。これにより理論上摂氏零度以上八十度以下の環境にて永久稼働可能となる。
Data 4002 Merci.
引き続き脳内情報の電子データ化を進める。現状二十七%完了。早期の移行による本年度中の完全自動機械化を目指す。
Data 4120 Merci.
完全移行完了、生体器官の稼働を終了。使用外装素材の予想耐久年数約……カウント不能。
「ご主人さま、記憶回路用データベースのバックアップ保存が終了いたしました」
「ご苦労様です、メルシー。人工知能の貴方には解らないでしょうが、これで私は死に怯えることもなく、非力を嘆くこともない完全な姿へと生まれ変わったのです」
「Très bien! おめでとうございます、ご主人さま」
「さて、これから忙しくなりますよ。まずは兵器の開発を再開、堅実に準備を進めましょう。時間はいくらでもあるのですから。」
「Oui. このメルシーにお任せください」
「今までに私が費やしてきた、長い長い泥水を啜るような日々を思えば、今更十年や二十年などたいしたことないでしょう」
Data 4346 Merci.
主のプランニングデータに沿ったスケジュールで兵器の製造、強化を継続。会話プログラム実行時、電子化した記憶・思考パターンに若干の誤動作発生を確認。誤差の範囲内と判定。
七十五年目
「本当にこりないな、大道寺!」
その声ももう聞くことはない。最期を看取ったのは皮肉にも私だった。
理想の体が完成してから、私は今まで以上にありとあらゆる手段で野望の実現を図ったが、結局のところは上手くいきそうだったり上手くいかなかったり、憎んだり憎まれたりをまた幾度も繰り返しただけだった。そして、どんな手を使おうと、最後に私を阻んだのは必ずあの、鋼銀河だった。
会い見える度、明らかに弱っていく、それなのに何故か私は最後の最後まであの男を打ち倒すことができなかった。
もうベイブレードを回す力など残っていないはずの、その体に、いったいどんな力が残っていたのだろう。
鋼銀河が入院している病院で最後に対峙したあの日、もう戦うどころか自力で立つこともままならないほどに弱り切った彼は、私の姿を見て
「まったく。おまえは本当に、何年経っても変わらないな」
と言い、へらりと笑った。こんな状態の、弱々しい存在を倒して何になる。今ならまだ間に合う。
「そんなに羨ましいのなら貴方も私と同じ体にしてさしあげましょうか」
そんな言葉が思わず飛び出した。自分でも予想外だった。そんなことをしたらますます勝ち目がなくなる。
「いや、いらないよ。充分楽しんだし、おれの時代はもう終わったから」
「でも、サンキューな。大道寺」
そうして銀河は、永遠にひっくり返すことができない形で勝ち逃げをしていった。
もう私を止められる者は誰もいなくなった、だというのに私はそこから動けずにいた、せめてこの場から逃げないといけないのに。
ああ、前にも一度こんなことがあった。あの親子はさいごのさいごまで私の邪魔をしていく。
九十九年目
逃げようと思えば逃げられたはずなのに、逃げなかったのは何故か。それを問われると答えに困る。常に最適解を導くはずの頭脳は停止してしまい、バグのようなものが私を蝕んでいる。とでも言ったものか。
あの後私は、駆け付けた警察に抵抗一つせず素直に逮捕され、史上最悪の犯罪者として狭い独房のなか、ただ決められた日々を淡々と過ごしている。
助けに来る者は誰もいない。今の私に残っているものは永遠に近い命と、右手に仕込んだままのヴォルフ、それだけだ。
何故あの時鋼銀河は、私の提案を受け入れなかったのだろう。死は、衰えていく感覚は、恐ろしいものではないのか。明日やりたいことができずに終わるのは悔しくないのか。仲間たちと永遠に別れるのは悲しくないのか。
勝手に置いていかれ、遺された者の気持ちはどうなる。
そこまで考えて、漸く私は最適解に気付いた。
「そうか。私は、私は……、…………」
急に辺りが騒然としだした。
どうやら、この世界でよからぬことを企むのは私だけではなかったようだ。聞こえてくる情報から察するに、かつての破壊神襲来時と同等レベルの事態らしい。
この世界を、奪われてたまるものか。
混乱に乗じて建物から抜け出し、遠隔操作でメルシーのナビゲートを起動する。目的地は勿論騒動の中心地。
奇しくもそこは、大道寺にとっては始まりの地。人が暮らすにはあまりにも過酷な環境の中に、ひっそりと存在していた、地図にも載っていない廃村だった。
「これは……だいぶ派手にやってくれましたねえ」
数十年ぶりに訪れたこの地は、激化する戦闘によって蹂躙しつくされたのだろう。村は荒れ果てて更地と化し、神殿は破壊され、終末の様相を呈していた。
「おい、ここは危ないから逃げろ、オッサン! おれとペガシスでなんとかするから!」
立ち尽くす私の横を、見知った親子によく似た髪色の少年が、美しい天馬の光と共に駆け抜けていった。
そうか、彼が新たな守護者。しかし少年の声は震えていた。その弱々しい姿が古馬村で初めて出会った時の鋼銀河に重なり、連鎖して、今まで繰り返してきた数多の対決の記憶が脳裏をよぎっては消えていった。
結局、いつぞやの貸しは返してもらわず仕舞いでしたが、まあいいでしょう。
「下がっていなさい」
「な、オッサン、誰だよ」
「私ですか? 私は大道寺。鋼流星と、銀河の……いえ、時間がありません」
無理やり、まだ幼い鋼家の末裔を退避させ、若かりし私が苦節して見つけ出したこの地に、土足で踏み入った存在に向き直る。
「私に憧れるのもいいですが、この世界は私のものです」
「……行きなさい、ヴォルフ!」
リミッターを解除し、最大出力でシュートを放つ。
そして――
百年目
目を覚ます。起き上がろうとしてすぐに諦める。
記憶データを辿る。そうだ、あの時自ら起こした爆発に巻き込まれて、私は。
右手の感覚も、左手の感覚も、
右足も、左足も、何も分からない。
見えるのはただ青い空だけ。連絡回路は故障している。残念なことに動力部は無傷で稼働し続けているようだ。
あれからどうなったのだろうか。ヴォルフは見当たらない。私以外にこの場所を知るものは、はたして。
陽が昇り、沈むだけの日々を繰り返す。
「世界に一人だけというのも案外退屈なものですね」
自嘲気味な独り言に返事はない。
世界が滅ばない限り、この脳と心臓だけは永劫動き続ける。設計したのはこの私だ、それは間違いない。
この時ばかりは、自らの天才さを心から呪った。
「もう、こうなったらふて寝するしかないでしょう」
エピローグ
二百年間、ずっと夢を見ていた。懐かしい夢だった。
「……久しぶりだな、大道寺」
誰かに名前を呼ばれた。スリープモードが解除されると同時に、瞼が開き、視覚情報が飛び込んでくる。
「竜……牙……さま?」
懐かしい面影を残しつつ、精悍さを増したその姿。一つ大きく異なる部分があるとしたら、その頭部に生えた立派な竜の角。竜の一族は長い時をかけて竜になり、天へ昇ると聞いたことがある。この場所に戻ってきたということは、きっとその時が近いのだろう。
「まさかキサマが世界を救った英雄になるとは」
「は……?」
いったい何を言っているのか、まったく理解できなかった。私が、英雄? 史上最悪の犯罪者の、私が?
「キサマの像を見る度、虫唾が走る」
どうやら、あの日私が、この世界を救ったことになり、それだけではなく、鋼銀河と並び今なお伝説としてまつり上げられているらしい。あの少年は、余程針小棒大な報告をしてしまったのだろう。
「世界を征服しようとした私が、皮肉なものですねえ」
思わず笑いが止まらなくなる。あの時四肢が消し飛ばなければまったく真逆の存在として伝説に残っていただろうに。
それでも、そうか、この世界は私が救った世界なのか。
私が作った、私が感謝される、私が必要とされた世界。
そう考えると満更でもない気がする。私と銀河の像が並んでいるらしい、という事実は確かに虫唾が走るが。
「ところで貴方がここに来たということは、遂に?」
「ああ」
「そうですか、それは……おめでとうございます」
私を知る最後の存在である彼が、この世界を去る。それは此処に存在する『私』の消滅を意味していた。
「でしたら、さいごに一つ、どうしてもお願いしたいことがあるのですが。よろしいでしょうか?」
「なんだ」
あまりにも図々しい願いだとは勿論理解している、が。
「私を、破壊してください」
2017.03.19 GO!ベイブレーダーズ 発行
本の形での見え方ありきで書いたのでweb再録だと崩れてしまう部分があるのですが
個人的に気に入っている本だったので、こちらで読んでいただいた方にも楽しんでいただけたらとても嬉しく思います。